幸せを祈る






 親からどちらが愛されているか、なんて馬鹿馬鹿しい悩みだと思う。でも、それは「学歴なんて関係ない」と東大生が言ってのけるようなもんで、一方にはとても重大な悩みなのだろう。
「お姉ちゃんはいいじゃん」
 お姉ちゃんはいいじゃん。妹の言葉はそれ以上続かなかったけど、彼女はどっかで真剣にそんなことを考えていたのだろうな、と私は思った。
 できが悪いのはどちらかというと私のほうだった。わがままだし、人付き合いが悪いし、無精でお手伝いもろくにしない。でも、勉強ができて、顔立ちがよくて、絵や作文のコンクールで賞状をもらってきて、いかにも母親がご近所で自慢できそうな、わかりやすい「できの良さ」があったのも私だった。私は妹の明るさや友達の多さをうらやんだが、妹も一方で私の「わかりやすさ」をうらやんでいた。私たち姉妹は互いが互いのコンプレックスだったのだろう。もし姉妹でなかったら、友達にもなれない者同士だ。だからぶつかったし、離れていった。
「お姉ちゃんは赤がよく似合ったけど、あたしはピンクじゃないと顔が負けちゃうんだよね」
 妹が、成人式の振り袖の写真を眺めながらそんなことを言ったことがあった。妹は二十歳で、私は二十二歳だった。私はその二年前、目玉が飛び出るほどの高価な振り袖を着せてもらっていた。赤地に花車の派手な振り袖。美容師に「きれいなお嬢さんですね」とおだてられ、父は上機嫌だった。
 妹に桃色の振り袖はよく似合っていた。だから私は現像された写真を見て「似合うね。かわいいね」と精いっぱいほめたつもりだったのに、妹にはそうは聞こえなかったらしい。顔が負けちゃうんだよね。
 七五三のときもそうだった。祖母は三歳だった私の赤い着物姿の写真を家に飾っていたが、妹のときはそうしなかった。お姉ちゃんのほうがかわいいんだもん。口さがない祖母は堂々とそう言ったのだという。このときはさすがに母も怒っていたが、妹はもしかしてあの言葉を聞いていたのだろうか。
 受験のときだって、こつこつテストのたびに努力して積み重ねていたのはむしろ妹のほうだったのに、その場しのぎの受験勉強で、瞬間最大風速的に難関の私大に合格したのは私だった。
 その受験が終わったときも、私は通っていた塾のポスターで「自分流合格!」と言ってもいない吹き出しまでつけられて顔写真を掲載され、一年間ぐらい宣伝に使われていたが、妹は高校の途中でその塾を辞めた。あなたのお姉ちゃんは、あなたはお姉ちゃんと違って、と事細かに私と比較されることがたまらなかったらしい。
 小中高とスクールカーストの底辺にいる生徒だった私が、一度もいじめのターゲットにならなかったのは、そんな見た目や勉強など諸々の総合点でバカにされない地位にいたからだと思う。別に妹だって不細工じゃないし、それなりに有名な私大に現役合格しているし、市のイベントのポスターを描くくらい絵も上手だ。ただ妹のそんながんばりは、世間様の目には「姉の後追い」にしか映らなかったらしい。
 だからこそ、妹は言ったのだと思う。
 お姉ちゃんはいいじゃん。
 あの言葉に、私と妹の関係の全部が凝縮されていた。
 私が社会人になって家を出て二年がたち、妹は大学四年生になっていた。正月休みに久々に帰省した私を、母は大喜びでごちそうを作って迎えた。その晩、妹と二人でワインを開けながら夜更かしをした。妹は、お父さんが私の内定先の会社に文句を言う、と愚痴っぽく話した。誰もが知っている有名企業で定年まで勤め上げた父は、ネームバリューで会社を推し量る癖があった。妹が選んだのは確かに名前も知らないようなベンチャー企業だったが、この就職難の世の中で、ようやくつかんだ内定だ。そんなの放っておけばいいじゃん、と私は安易に答えたが、妹から飛んできたのはこの一言だった。少しちぐはぐで、若干ずれたような言葉だったからこそ、妹の本音だと思った。妹はそれ以上続けなかったけど、続くべき言葉くらいは私にも予想できた。お姉ちゃんならそれでいいんでしょう。お姉ちゃんだからそんなことができるんでしょう。黙っていたって、誰かが愛してくれる。お化粧をサボっても、わがままを言っても、誰かが特別扱いしてくれる。お下がりを着せられることもないし、やることなすこと前例と比較されることもない。
 両親から、私がより強く愛されていたとは思わない。私だって何度もこっぴどく叱られたし、いい子にしないのなら出て行け、と脅されたことだってあった。だけど、妹は彼女にしか計り知れない部分で、やっぱり私に引け目があったに違いなかったし、私は彼女が宿命的に引き受けざるを得なかった引け目への向き合い方を知らなかった。
 叶う限り幸せになってほしい、と思う。とても傲慢な立場からの言葉かもしれない。私のエゴだとも思う。
 リビングのテーブルでドレスのカタログを広げ、私たちは頭を寄せ合って、あれでもない、これでもない、とページを繰った。妹は迷いに迷って、カタログにべたべた付箋を貼っている。母は「やめときなさいよ、そんな地味なの」と横からちょっかいを出し、私は「これがいいんじゃない」と写真を指さしては「お姉ちゃんの洋服の好みは派手すぎる」と妹からだめ出しを食らっていた。
「せっかくお色直しするんだから、あんたの好きなのにしなよ」
「そりゃそうだけど、候補が多すぎて」
「旦那と話し合えばいいじゃないの」
「だめだめ、あいつ趣味悪いから」
 ウェディングドレスもショート丈のギャルみたいなやつにしようって言うんだよ、信じらんない、と妹はぶつぶつ文句を言った。
 来春、妹は嫁いでいく。もちろん血縁関係は続くけど、この冬が終わったら、私たちはやっと、姉妹ではなくなる。元もと、姉妹でなければ関わり合いにならなかったような間柄だ。だから、私はもう彼女の姉ではなくなるし、その方が良いのだと思う。
 どうか、幸せになってほしい。焦がれるみたいに心から願う。涙が出そうなくらい祈る。神様に、姉妹として引き合わされたから、仕方なく、一緒に育っただけの私たち。それなのに、今日までの二十年以上、何度も巡った季節の中で、私を「お姉ちゃん」と呼んでいた声。彼女の姉でいられなかった私が、あの声に報いるすべはこの祈りだけだった。
 旦那が浮気をしませんように。嫁姑関係がうまくいきますように。健康な子どもが生まれますように。優しい友達ができますように。なるべく病気になりませんように。彼女ができるだけ多くの人から愛されますように。ぜんぶの苦しみ、あらゆる悲しみ、すべての災難から、どうかどうか神様、彼女を守ってください。





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