姉さん(1)






二〇一二年 四月

 腕時計に目をやりながら慶應の正門を入った。二時五十分。乗るつもりだった電車を逃して思ったより遅くなったけど、なんとか間に合いそうだ。そもそも多少の遅刻をしたところで怒る人たちでもない。そう思うと足の運びは速度を落とし、私はほてった息をおさえようと深呼吸した。春といってもまだ寒い春だけど、少し走ると汗ばむようになった。

 姉さん、お幸せに。
 加賀くん、ありがとう。
 キクちゃん、上原くん、ごめんなさい。
 最後に家族ができて楽しかった。

 私は体に刷り込むようにして覚えた短い文面を繰り返す。大学の外を走る車の音にも消されてしまいそうな、小さな声だった。これからあのメンバーに会うと思うと、何度でも思い出してしまう。リコから送られてきた最後のメール。メールを受け取った加賀くん、上原くんと集まってリコの居場所を探しながら、結局どうすることもできなかった。
 正門横から伸びるレンガ舗装の緩やかな坂を上った。桜の花が満開を迎えようとしている。大学一年の時は神奈川の日吉キャンパスにいた。だから院に進んで二年目の私がここの桜を見るのは、これで六度目だった。坂を上ると中庭を抜けて院校舎の横を通り過ぎる。 
 この一カ月の間、院校舎を目にするたびにその建物の上に人がいないかを確かめてしまう。それも、髪の長い細身の女の子がいないかを、このところ近視気味の目を細めて一生懸命確かめようとしてしまう。像を結ぶのは私の想像の中のリコだけだった。その度に心の中であっと叫んで、その声で現実に引き戻される。三月の夕方、五階建ての院校舎の屋上から飛び降りたリコは、ほぼ即死状態だったという。大学は春休みで構内の人は少なかった。リコは死後三十分くらい経って、通りかかった学生に発見された。
 リコの母親から連絡を受けて彼女の死を知った時、私は打たれるような衝撃の片隅で、ぼんやりと猫のことを思い出していた。
 小学生のとき、猫を殺した。私が学校帰りに拾ってきた野良猫で、毛が茶色かったから「チャコ」と呼んでいた。エサをあげたときのことやチャコの毛を撫でたときのことは、もうほとんど覚えていない。私がチャコについてはっきりと思い出せるのは、チャコが癌になって、余命わずかだと獣医に告げられて以降の出来ごとだ。チャコの末期は悲惨だった。チャコは一日一日と弱っていき、餌も水も口にできなくなった。立ちあがれもしなければ、自力でトイレに行くこともできない。寝そべる位置を少し変えてみることさえできなかった。チャコは生きたまま、半分は死んでいるように見えた。すっかり痩せ衰えたチャコを、私も両親もそれ以上見ていられそうになかった。
 私はある冬の夜、団地の裏の小さな敷地に穴を掘り、自分の手でチャコを生き埋めにした。半分死んだチャコの残りの半分を、私は殺した。死、という言葉に触れるたびにまず思い出すのは、穴の底で鳴く力もなく横たわっていたチャコの茶色い毛だった。
 リコと初めて会ったのも、死のにおいがする場所だった。当時十七歳だった私は、母に連れられて名前も顔も知らない親戚の葬式に連れていかれた。どういう関係にあたる人なのかと母に尋ねても、言葉を濁すだけではっきりとは答えてくれなかった。私は母の最初の反応を見ると、根ほり葉ほりは聞かなかった。高校生ともなれば、事情はわからないにしろ、そういう雰囲気を察することはもう十分できた。遠く複雑な関係上にある親戚くらいに解釈して、勝手に納得すればそれで気は済んだ。
 葬式の始めは会場の重たい空気に緊張し、母の一挙一動に神経を寄せて何かそそうをしないように気をまわしていたけど、所詮は知らない人の葬式なんてつまらないものだった。しんみりと悲しそうな顔をすることもできないし、かといって関係ないとすました顔をしているわけにもいかない。私は首は動かさず目だけであたりを見回し、まわりの大人が葬儀の場でどんな顔でいるのかを研究していた。その時に目がいったのがリコだった。私と同じように学校の制服を着て会場にいるリコは目立った。それに同じ年代の女の子はリコだけだったので、私は導かれるようにその姿を見つけた。
 一連の流れを終えて母がまわりの大人と何か話しこみはじめると、私はリコの方に行った。退屈だから、ということもあったし、リコのことがずっと気になっていた。学校のクラス替えがあると、その日初めて会ったのになんとなく、この子と友達になりたい、と思う子が一人はいる。リコは私にそう思わせる種類の女の子だった。そういう勘が働いたこともあって私はリコに話しかけた。初対面で、しかも葬式の場という特殊な状況であったけど、いやむしろそのせいもあって、私とリコは互いの学校の不条理な拘束や癖のある先生の話で盛り上がり、別れる頃にはメールアドレスを交換した。私たちはどちらも都内に住んでいたので、連絡を取り合っては時々遊びに行ったりした。
 リコは私より二つ下で、学校の友達といるのとはまた違う楽しさがあった。年齢は違うけど部活の先輩や後輩というわけではないから、歳の差にそんなに気を使わなくて良かった。そうしたい時だけ私が先輩としてアドバイスしたり、リコの年下らしい可愛さに笑ったりしていた。姉さんというあだ名は、冗談みたいなものだった。リコは私と同じ大学に進みたがり、受験勉強中はずいぶんとリコの面倒を見ることになった。
 約束していた教室に着くと、上原くん以外は全員揃っていた。キクちゃんと加賀くんはそれぞれ好きな席に座り、本を読んだりノートを広げたりしていた。ここは『福永武彦研究会』と冠されたサークルだというのに、福永武彦の著作を読んでいる人なんて誰もいない。部員が少なく部室すら与えてもらえないから、こうして定期的に空き教室に集まっている。
「姉さん」
 キクちゃんが声をかけてくる。リコが私を姉さんと呼ぶのを聞いたみんなも、自然と私を姉さんと呼ぶようになった。
「おはよ。上原くんはまだ来てないのね。慌ててこなくてよかった」
「ユーリの遅刻はお約束だから。今三十分くらい遅れるってメールがきました」
 キクちゃんは机に広げていた英文のびっしり書き込まれたノートから顔を上げて言った。教卓に座った加賀くんは机上にのばした自分の指先をぼんやりと見つめている。あれは完全なニコチン切れ。
 私はキクちゃんの後ろの席に荷物を下ろしてスプリングコートを脱いだ。敬愛する福永武彦の『忘却の河』を取り出し、栞を挟んだページを開こうとしたら、キクちゃんが椅子を半回転させて私の机に頬杖をついた。
「その後、彼氏さんとはうまくいってるんですか?」
 身を乗り出して聞いてくるキクちゃんは、もう勉強には飽きてしまったのだろう。彼女は飽き性だ。そんなに太っているわけでもないのにダイエットに熱心だけど、ひとつの方法が一週間以上続いた試しがない。
「そっちこそどうなの。上原くんとは」
「うーん、まだ付き合って一カ月だし。特にこれといった問題も発生していませんよ。ユーリの趣味には驚かされましたけど」
「それはもとからわかってたことじゃない」
「姉さんはまだ彼の真の姿を見たことがないからそう言えるんですよ。ほんと狂気の沙汰なんだから」
「ふうん」
 私は上原くんが夜の自室で試験管を使って各種のふりかけを混ぜ合わせ、満足気な笑みを浮かべているところを想像した。彼はふりかけに異常に執着している。カツオ、タマゴ、サケ、タラコ。机の引き出しには色とりどりの袋に入ったふりかけが、上原くんしか知ることのない秘密の印をつけられてぎっしりと詰まっている。平和な食卓にこそふさわしいふりかけたちは、彼の部屋のなかでは仰々しい研究の貴重なサンプルのように、重い存在感を放っている。薄闇にひそむ狂気のふりかけ男。
 駄目だ。これは同人誌のネタにはならない。
「姉さん、どうかしましたか?」
「ああ、うんなんでも」
「それで、彼氏さんとは?」
「うーん、最近連絡がない。まあちょっと色々と、ね」
 言いよどんで手元に視線を落とすと腕時計が目に入った。付き合ってから初めての誕生日に、彼にプレゼントされたものだ。細い皮のベルトの色は、今咲いている桜より少し濃い。万年金欠の彼が値の張る時計をくれるとは予想していなくて思わず感動したけど、その日のデートの夕食は安いことだけが売りのファミリーレストランだった。でもあの日食べたオムライスは、とてもおいしくて幸せだった。デザートのイチゴパフェの全部を塗りつぶしてしまうような甘さも、何でも楽しかった。あの時彼は私と同じように、楽しいとか、幸せだとか、思っていたのだろうか。
 私が黙りこんでいると、キクちゃんは頬杖をやめて自分の机に戻っていった。でもまたいつ勉強に飽きるのかわからない。いつも学校の課題が忙しい忙しいと騒いでいるけど、その第一の要因は彼女の集中力の持続時間が極端に短いことにあると思う。私は出していた武彦先生の本を鞄にしまって、代わりに薄い同人誌を引っ張り出した。俗にいうところの『薄い本』だ。武彦先生の本はもちろん何度も読んでいるけど、やっぱり落ち着いた環境でゆっくりと読み返したいものだ。
 同人誌を広げるとめくるめく衆道の世界が広がる。見目形の整った成人男子たちが愛し合い求めあう艶めかしいイラストが私の心を奪った。キクちゃんがちょっと振り向けば机に広げたページは見られてしまうけれど、私が男性の同性愛に心ひかれる“腐女子”であることはサークルのメンバーにはとっくに知れていることなので気にする必要はない。
 でもどうも、今日の私は大好きな男色に集中することができなかった。さっき誕生日のファミレスのことなんか思い出したからだ。キクちゃんが気にする通り、ここ最近の私と武彦先生似の恋人には微妙な距離がある。喧嘩をしたというわけではないけれど、もっと触れにくくてどうにもならないことだった。
 こんなことになってしまったのは、二月の節分の日、俊也が教室で同じ授業をとっている佐藤由紀と並んで恵方巻を食べているのを目撃してしまったからだ。もっともその場面を見なくたって、いつか私は彼と自分との間にあるものに気付いてしまったのだろう。
 節分の日に健康を願って恵方巻を食べるというのはもともと関西圏の文化だったらしいけど、最近では東京のお店でも節分が近づくと恵方巻を売るようになった。学校近くのコンビニでも売っているくらいだ。恵方巻を食べる時には決まりごとが二つあって、ひとつはその年ごとに定められた方角を向いて食べること、もうひとつは、食べている間しゃべってはいけないということだった。
 私が授業前の教室には入ると、二人はまだ人気のない教室の椅子に並んで座って、同じ方角を向いて、生真面目に口もきかずに恵方巻きをほおばっていた。私も恵方巻きルールを知っていたので二人が食べている間は挨拶もせず、少し離れた席に荷物を下ろした。最初は、平凡で心和む風景だとしか思わなかった。黙々と恵方巻きを食べる二人。由紀は私の友人でもあった。
 その後、始業のチャイムがなって黒板のノートを取り始めた時になって、私は自分の胸の底が、むずむずと小さくうずいていることに気付いた。たちまち授業に対する集中力は消えていった。正体のない気持ちに十も二十も疑問符を投げかけて、これはちょっとした焼き餅なのだという結論に至った。由紀と俊也が二人で仲良く恵方巻きを食べていたことに対する可愛いやきもちなのだ。二人に言ったらきっと笑われるに決まってる。
 でも小さなやきもちだと思っていた気持ちは数日経っても一週間経っても消えず、根治困難な腫瘍のようにはびこり続けた。俊也の顔を見るたびに、由紀の顔を見るたびに腫瘍の色は濃くなって、時折痛むようにさえなった。
 だって私は、由紀が俊也のかつての恋人だと知っていた。私は学部生の頃から彼に思いを寄せて三年の夏に付き合い始め、由紀とは院に入ってから友達になった。片思いしている間も、彼が由紀と付き合っていることは何となくわかっていた。同じ国文学専攻の女子の中でも、彼は由紀と特に仲良さそうにしていたし、そういう噂もあった。その頃私と由紀は授業で顔を合わせる程度の仲で、まだ彼女のことを佐藤さん、と呼んでいた。
 四年に上がる前に由紀と俊也が別れ、私は俊也に告白した。授業で教室が一緒になった時の二人の態度を見ていれば、別れたということは噂に聞く前になんとなく察しはついた。院で同じ教授のゼミに入ることになって私は由紀と親しくなったわけだが、彼女には俊也と付き合っていることは黙っていた。なんとなく口にしづらくて言うタイミングを逃し続けていたし、俊也から彼女に報告があると思っていた。見たところ二人の間は落ち着いて、付き合う前の友達同士の関係を、少なくとも院生たちの間では保っているみたいだった。しかし由紀が何も言ってこないところを見ると、俊也は私のことを伝えていないのだろうとわかった。
 今思えば私は意識的に、目をつむり続けていたのだと思う。由紀はまだ彼にちょっとだけ気持ちがあって、彼は彼で由紀にちょっとだけ気持ちがあった。ちょっとだけ、というのは私の希望まじりの推測が生み出した淡い言葉だけど。教室で会うと二人は親しげな笑みを交わし合っていたし、教授主催の夏の合宿に行く俊也は、なんだか張り切って合宿での研究発表の準備をしていた。私も二人と同じゼミに所属しているから飲み会に行ったり昼食を一緒にすることは多いけど、俊也はいつも屈託がないから悪気なんてなかったんだと思う。私が彼と由紀の間に友情以上の何かを感じることはあっても、私たちの日常に波風は立たなかった。私が気付かないふりをして、いつの間にか自分まで騙しこんでいる間は、穏やかな時間が流れた。しかし二月の節分の日に、私が自分自身に隠していたものは暴かれてしまった。午後の温かな教室で、いつも通りに流れる時計の針は止まった。





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