荒野の果てに




 
二〇一二年三月九日(日)

 カギを回す音で目が覚めた。幻聴かと思った。英太がいる生活に慣れすぎたのかもしれない。体がだるい、二日酔いかな、と頭を起こして、部屋に飛び込んできた「ただいま」というのんきな声で跳ね起きた。
「英太?」
 私はベッドから降りて玄関に駆け寄った。英太はスーツケースを玄関に運び入れているところだった。私の姿を見て、白い八重歯を覗かせて笑った。
「起こした? 寝てていいよ」
 どこに行って、何をしてきたか、どうして戻ってきたのか、問うべきことは他に山ほどあったのに、私は猛然と英太に詰め寄り、胸ぐらを両手でつかんで怒鳴った。
「遅い!」
 英太はドアに後頭部をぶつけ、両手で頭をさすった。眉根を下げて、困ったみたいに笑っている。その能天気な表情にますます苛立って、私は全力で英太の体を揺さぶった。
「どこ行ってたの」
「え、実家だけど」
「なんで帰ってきたのよ」
「いや、明日から仕事だし」
 全部自分の思い過ごしだったのだと認めるのが癪だったから、怒りにまかせてなじった。ばか、連絡くらいしなさいよ、非常識、ちくしょう。だんだん自分が何に怒っているのか、よくわからなくなってきた。
 英太は責められるがままに「ごめん」と繰り返していたけど、やがてかみ殺すみたいに吹き出して、最後には声を上げて笑い始めた。何笑ってるの、と噛みついたら、英太はもう一度「ごめん」と前置きして、私の肩を両手で押した。
「出て行ったと思った?」
 口調も表情も、最初に私の家に上がり込んだときの「手、出されると思ってる?」とそっくりで、私は思わず首を横に振った。
「いや、メールも電話もなかったから、忙しいのかなと思って連絡しなかったんだけど。母親が突然入院したって聞いて、お見舞いに行ってただけだよ」
「お母さんが?」
「ただの腸閉塞だって。人騒がせだなぁ、まったく」
 あんたのほうがよっぽど人騒がせだ。私は英太の胸元のシャツをつかんだまま、唇を噛んだ。悔しかった。私が一方的に気をもんでいただけだと言われているみたいで、腹立たしかった。英太は分かっているのかいないのか、相変わらずのんきに「お土産買ってきたよ」なんて言っている。
 握りしめた両手から、徐々に力が抜ける。英太が私の拳を上からつかんで、押し戻した。シャツの胸元がくしゃくしゃになっていた。浅く日焼けした手の平が、柔らかい。
「あのね、尚人、今度結婚するんだってさ」
 英太は私の目をのぞき込んで、そっと言った。手はまだ私の拳を包んだままだった。吐息が触れるほどの距離で、瞳を穏やかに細めている。
「わざわざココに言わなくてもいいかなって思ったけど、まぁ、他人じゃないわけだし、一応話しておくよ」
「尚人が」
「うん、デキ婚らしいよ」
 そっか、とうなずいた。うん、と相槌を打って、英太は静かに笑う。合わせて笑っていた自分に、少しだけ驚いた。もうちょっと動揺してもおかしくないはずなのに、代わりに、くずおれるみたいに、思っていた。
 ありがとう、おめでとう、お幸せに。
 絶対に、口が裂けても、言えない。ただ自分がそう考えていたこと自体に、何か一つ、報われた気がした。英太も同じなんじゃないか。ただ英太は、私よりもずっと昔、どこかの地点で、あの人を許していたのだろう。口を聞かないことや、関わり合わないこと、あの距離こそが、あの人の兄でいられなかった英太の、許し方だったのだと思う。カッターナイフの刃先を突き立てたあの人の憎悪、激しい戸惑いや推し量りようもない怒り、刺すような正義を、そして運命と呼ばれるどうしようもない力を、私の知らない過去のどこかで、英太は一つずつ、認めていったのだ。
「買い物、行こう」
 私はこわばった肩から息を吐き出して、やっと言った。英太は私の手を離し、スーツケースを両手で持ち上げた。
「何の?」
「昼ご飯。今、うちカップ麺もないよ」
 ここ三日何食ってたんだよ、と英太がおかしそうに笑った。
 近所のスーパーに向かって並んで歩きながら、引っ越しの話をした。福岡に転勤になった、と切り出したら、英太は目を丸くして「いいところじゃん、よかったね」と無邪気に拍手した。英太の荷物は来月の週末にレンタカーを借りて運び出すことにした。かさばる家具や家電は元もと私のものだから、運搬は一往復で済むだろう。そしてレンタカーを返したら、今度こそ本当に、英太はあの部屋からいなくなる。
「ちょっと、さみしくなるね」
 スーパーの駐車場にさしかかったところで、英太が独り言みたいにつぶやいた。見上げたら、横顔が静かにほほえんでいた。
「そうだね」
 私はうなずいて、正面に向き直った。
「またいつか、どこかで」
 どちらからともなく、そう言っていた。私たちふたりの、最初で最後の、約束だった。


二〇一二年三月十日(月)

 もう一年になるのか、と改めて思った。ビルの壁を這うみたいに、小さな観覧車がゆっくりと回っている。二年前、住宅の下見に来たとき、不動産屋の営業マンに「あれは何ですか」と尋ねたことを思い出す。若い営業マンは社用車のハンドルを切りながら「サンシャインビルの観覧車ですよ。以前、僕も娘と一緒に乗りに行きました」とバックミラー越しにさわやかに笑って答えた。あのビルはSKE48の活動拠点で、二階には観覧車の乗り場とレンタルビデオ屋がある。まだ日は落ちきっていないけど、ゴンドラは既に青くライトアップされていた。一つ一つの円環の軌道が、まぶたの裏側に色濃く焼き付く。
 朝から新聞もテレビも、震災の特集で持ちきりだった。週末はほとんどテレビを見なかったから、あまり意識はしなかったけど、東北の大震災から、明日で一年がたつ。従って、私とあの人の終わりの日から、丸一年だ。正確には五月に婚約破棄を言い渡されたのだけど、私は今でも、あの震災の前日、つまり一年前のちょうど今日が、あの人の隣で過ごした最後の日だったと思っている。
 定時で仕事を切り上げ、栄で電車を降り、私は横断歩道を挟んだ向かい側から観覧車を見上げていた。昼間はだいぶ暖かくなってきたけど、夕方を過ぎるとまだ少し肌寒い。薄手のマフラーを締め直し、腕時計を見た。待ち合わせの時間まで、あと二分だった。この観覧車の下で、というメールがあったけど、観覧車の下には同じように待ち合わせをする人が大勢たむろし、携帯電話をいじっていた。分かるかな、とちょっとだけ不安になったが、電話すればいいや、とすぐに思い直して、もう一度、観覧車のてっぺんを振り仰いだ。
ほんの一年しかたっていないのに、果てしなく昔のような気がした。去年は、震災で何もかもがめまぐるしく過ぎていったせいか、桜を見た記憶がない。だから、私にとってあの春は丸ごと、あの人の季節だった。
 立ち止まって目をこらさなければ分からないほど、ゆっくりと、観覧車が回っている。この場所で、この観覧車の青い光を、最初に見た日私は、生きていける、と思った。今なら、二年前の自分の気持ちを理解できる。名古屋駅に新幹線で降り立ち、慣れない部署の仕事を始め、入り組んだ碁盤目状の道路で何度も迷子になった。あの夜、私は、この町に住むことを、この光に許された。遠い迎え火のように遥かで、生き死にの明滅みたいに頼りなかった。ああ、大丈夫、ここで生きていける。何度も信号が青になったり赤になったり、でも渡って近づくことも歩き去ることもできず、私は一人きり、かみしめるみたいに長いこと、観覧車を見上げていた。
 久しい時間の向こう側、観覧車の景色を思う。青信号になって、わらわらと人の波が動き始め、私も釣られて横断歩道に踏み出した。歩きながら、腹に手を当てた。この先一生、命が宿ることはないのに、コート越しの自分の皮膚は当たり前に柔らかく、あたたかかった。
 観覧車の下で、ちらちらと時計を確認した。待ち合わせの時刻から五分過ぎ、十分過ぎ、パンプスの足の先がだんだん冷えていく。私は携帯電話をポケットから取り出し、メールを打った。観覧車の前で待っています、と送信しようとして、大声で呼ばれる。顔を上げたら、横断歩道の反対側で大きく手を振っている人影が見えた。
 私は携帯電話をポケットに戻し、腕を組んだ。乳房が腕に押しつぶされる。子宮を切除した年の春、それからあの人と別れた春、震災の年の春、女の体なんてもう必要ないのに、と捨て鉢になっていた自分を思い出した。たぶん、これからも折に触れて、何度でも、似たようなことを考えるだろう。
観覧車が、頭上で音もなく回っている。もう一度見上げたら、鉄筋の向こうのゴンドラの光は目を射貫くみたいに鮮やかだった。荒野の果てに、日が落ちる。世界中の大地を覆うように、夕映えの空は天高く澄み切っている。
信号が青になった。歌うような声が初春の風に交じり合い、私の名前を呼んでいる。遅い、とつぶやいて、手を振った。















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