氷のほとり(1)






 私が生まれる四年前から、父は妄執的な歯磨きを日に三度行っていた。朝食の後と、昼食の後と、夕食の後の三回だ。朝と夜は家の洗面所で、昼は会社のトイレで歯磨きをした。停電で部屋が真っ暗になっても、インフルエンザで四十度近い高熱を出しても、母がほかの男と会って帰りが遅いと知っている夜も、欠かさず歯磨きをした。
 磨き方は胸が痛くなるくらい熱心なもので、まず専用の消毒液でおおまかに口を洗い、それから第一種目の磨き粉をつけたブラシを突っ込む。上の歯に十分、下の歯に十分ずつ時間をかける。次は第二種目の歯磨き粉をつけたブラシで同様の手順を踏む。同じところを何度もこすり、終わりに近づけば近づくほど磨き方はますます執拗になる。
 洗面台に向かって長い歯磨きをする父の姿は、後ろから眺めているとそこだけが現実から浮き上がっていた。物の影がにごった川底のように黒く湿りはじめる。洗面台の照明が強く光り、フローリングの色が何かの影をうつしたように一瞬濃くなる。歯磨き粉のミントの香りが、塊になってあたりに転がる。
 母と結婚する前、父には真剣に愛した女の人がいた。父は張りつめた鉄柵のようにまっすぐに途切れなく彼女を愛していた。その時の父にとって彼女は、それなしでは生きていけない体の一部のようなものだった。重たいから外してみたり、息苦しいから少しの間とってみるなんてことは不可能だった。移り気に恋人を変える彼女の癖を知っていても、好きでいることをやめられなかった。
「理不尽なくらい好きだったんだよ。ほんとうに、理不尽だったよ、あれ」
 酔っ払った父の口から聞いた「理不尽」という言葉の意味は私にはよくわからなかった。誰かに操られているみたいに、動きが取れなくなるくらい好きになっちゃったんだ。父はそう言った。
 彼女こそが一生を連れそう相手だと思っていた。しかし父の方がどうであろうと、女は渡り鳥が季節にうながされるようにふっと父のもとを去った。それは羽音もたたない静かな飛翔だった。
 恋人に振られた父は、一週間まともに食事をすることもできなかった。最初の頃は食欲が出なかった。二日も経つと、空腹が沸騰寸前の鍋底のようにふつふつと泡を立てはじめたが黙殺した。枕元に水道水を入れた瓶を置いて、水ばかり飲んで過ごした。体の一部を切り取られるような打撃の後で、空腹を感じることは馬鹿馬鹿しく思えた。自分の置かれた状況に対して空腹はどう考えてもそぐわない。悲しみ、淋しさ、虚しさ、やるせなさ、出口のない絶望。さまざまな感情が混ざり合ったかたまりを抱えながら、好物のハンバーグを食べることや、売店でパンやおにぎりを物色することが許せなかった。誰かが彼に流れる時間のスイッチを切ってしまったみたいに、父は一日中布団にもぐり込んで動かなかった。彼は道端に捨てられた棒きれのように生きた。しかしさすがに丸七日経つと、気持ちの問題はともかく飢えの切なさが身に迫った。それに問題は他にもあった。父は唾を飲み込み、自分の口が下水のようにたまらなく臭くなっていることに気付いた。
 何だ、これは
 食物もとらず誰とも話さず正常な働きを失って閉ざされ続けた口内では、何か異常な事態が起こっていた。経験したことのないきつい口臭が父を襲った。とても自分の体から発生している臭いだとは思えない。まるで毒ガスだ。悪魔の屁とゲップとワキガを煮詰めたように臭い。そのときだ。落ち込むばかりで何ひとつ刺激を受けなかった心が、春の新芽のように震えた。父はあわてて洗面所に駆け込み、グリーンミントの磨き粉で長い長い歯磨きをした。清潔な水で全身を洗っているように気持ちがよかった。一度口をゆすいでもう一度磨いくと、軽やかなミントの味が妙薬のように歯茎に染みわたった。それが父にとって、久しぶりに生活上の何かをなしとげた瞬間だった。
 その歯磨きを境に父は布団から出て外を出歩くようになった。ひげも剃ったしまともな服も着た。そしてその時から、日に三度の異様に丁寧な歯磨きが一日も欠かすことなく行われるようになった。


 父の持ち物で捨てなかったものは、父が彼の祖父、つまり私のひいおじいさんから譲り受けた枯れ枝のように古いモンブランの万年筆と、洗面台に立てかけられた一本の歯ブラシだった。
「僕の服や本や鞄や、とにかく僕の物は全部捨てていいです。おじいさんの万年筆はたいして場所もとらないし、持っておいて。あとは迷ったり選別したりせずに、全部捨てること」
 すでに手におえないほどに進行したすい臓がんの見つかった父は、電気屋が新しいレンジの使用法を説明するような口調で話した。ヘルシーな蒸し野菜をつくるならこのボタンで、時間は自動的に設定されます。お葬式をする時は、この一覧に名前のある人を呼んでください。僕の一番親しい人たちです。こちらの機能を使えば、ピザを焼くことも可能です。香典返しには洗剤よりタオルの方が気がきいていると思います。
「葬式に行くたび粉洗剤ばっかり持って帰ってくる時期があってね。でもうちの洗濯機は液体洗剤しか使えない仕様だから持て余したよ」
「そんな話気が早いよ。それにね、私はただでさえ物を捨てられないタイプなのに、死んだ人の物なんてますます無理よ。お菓子についてる下らないオマケだってゴミにするのに葛藤するのよ。なんでもぽいぽい捨てる人にはわからないかもしれないけど」
 長い留守中の家の用事を頼まれた、そういう気分になろうとした。ちょっとした頼まれごとをされているだけなんだ。出かけている間にこの番組とあの番組を録画しておいて欲しい、家の戸締りは忘れずにして、植木に水をやって。そういう話をしているんだ、私たちは。病室を訪れるたび次第に遠のいていく日常を、私は頑固に引き寄せようとしていた。清潔な白いシーツやベッドを隠すライムグリーンのカーテンからは、生活のにおいはしなかった。たくさんの人が寝起きをしている病棟なのに、そこで送られているのは生活以外の何かだった。何も語りかけてはこない白い壁、温度のない長い廊下、音のたたない病室の扉。父はそういうものに囲まれながら、ベッドの上で刻々と変化していった。
「僕だって何でもひょいひょい捨てるわけじゃないですよ。よく考えて、必要ないと思ったものを捨てるんです」
「そもそも、何を捨てるか選ぶことが苦手なの」
「だから全部捨ててください。ほら、それなら選ぶ手間はないでしょ? お願いだよ、後生だから」
 ほんとに後生だよ。
「こっちに物が残っていたら僕は無事成仏できない。伊勢丹で買ってきた新品の手袋、前に見せましたね? あれがあるだけで、未練いっぱいで魂が残ってしまう。早く天国に行ってスケートでもしたいのに」
「天国にスケートリンクがあるかな」
「ありますよ、天国なんだから。ボーリングでもビリヤードでもなんでも」
「それってただの娯楽施設じゃない」
 そう言った私は、おかしいような、悲しいような顔で笑っていたと思う。
 スケートをしている父は、蛇のように執念深く歯磨きをしている姿からは想像できないくらい素敵だった。靴の刃が氷を削り取るかすかな音までが、巧妙にしかけられた精緻な響きに聞こえた。それはこの世の静けさを全部集めてきて、その静けさのなかにあるほんのわずかな空気の揺れを集めたような音だった。若い頃は女の子が騙されただろうね、と言ったら、かぶりを振って否定された。
「まさか。好きな女の子にスケートしてる姿を見せるなんて、考えられない」
 父はどういうわけか、誰かとスケート場に行くことは絶対にしなかったらしい。だから私の幼い頃に家を出て行った母は、付き合っている時も結婚してからも父の滑る姿を見たことがなかった。
 父は私だけを、特別にスケート場に連れて行ってくれた。それは母と離婚した後のことだ。母がいるときは父は仕事ばかりの人で休日にどこかに行くことはないし、家にいること自体が少なかった。一度だけ連れ出された記憶があるのは近所の薬局だった。父は無類の薬局好きで、買うものがなくても棚を見まわるのを趣味としていた。
 薬の効能書きを読んだり新製品をチェックするのが大好きで、やたらにドラックストアのポイントカードを持っていた。花粉対策コーナーで「塗るマスク」を見つけた時は、よほど珍しかったのか歓喜の報告を受けた。受験勉強で少しの余裕もなかった私は返事をするのも面倒だったけど、買ってきたのと聞くと、買ってこなかったと父は答えた。
「だって花粉症じゃないから」
 純粋に薬局観賞が好きなのだ。とろみ付き目薬、肩凝りの飲み薬と薬局の視察報告は続いた。ちなみに塗るマスクというのは、鼻の入り口に半液体状のクリームを塗って、まさに前線で花粉の侵入を食い止めるというものだ。
 頻繁にある長い出張のせいで、私は父をいつもどこかを旅している人なのだと思っていた。あの頃の我が家は仕事と育児が完全に父と母の分業体制になっており、私の面倒は母が全てを担っていた。父の出る幕は運動会だとか七五三だとか、特別行事の時だけだった。
 そのせいで、母が出て行ったあと父は相当戸惑うことになる。母はうっとうしい荷物を下ろすように、やすやすと私と父を捨てて行った。小学校に入学する直前だった。
「なんでそんな大変なときに出て行っちゃったのかな」
 中学の頃、なんとはなしに父に聞いた。
「彼女にとっては、君が手のかかる時期だったことや僕の仕事の都合なんかは、もうどうでもいいことだったんだよ」
 父はそう答えてから、ずいぶん長い間黙り込んでいた。たぶん、どうでもいい、と言った自分の言葉を後悔しているのだと思った。父としてはもう少し私に配慮した返答をしたかったのに、つい思ったままの言葉が出てしまったのだろう。そこまではわかったのだけど、そんなことは大して気にしていないと伝える方法がわからなかった。こちらが先に口を開いたほうがいいだろうか、それとも父を待つべきだろうか。余計なことを言うと、話題が深刻になってしまうだろうか。私と父には、互いが相手のための言葉を探して沈黙におちいるような、そういう時間がよくあった。
 父は小さな我が子と二人暮らしになって、当然仕事のスタイルも変えなければならなかった。それに何より、娘と二人という空間に慣れていなかった。毎日忙しく働いてろくに顔を合わせず、それまでは一緒に生活しているという感じがしなかった。その事実に気付いたとき、彼はがく然としたそうだ。父が私に変な丁寧語で話すようになったのも、いきなり目の前に差し出された私との関係に戸惑ったからだった。父は最初、娘と二人きりで何を話せばいいのかすらわからなかった。 
 掃除や洗濯、栄養バランスのとれた食事の用意に父は奔走した。父はその時、ありとあらゆる手順をこなさなければ毎日は進んでいかないこということを発見した。それまでは太陽がのぼって太陽が沈み、その運行に任せて日々は流れていくのだと当然のように思っていた。しかし実際の生活はそうではなかった。仕事に加えての家事は慣れない父には大変な労働だった。その中で番の苦労は、私の相手をすることだった。
 私は毎晩のように母を呼びながら激しく泣いた。泣くときは必ず枕に顔を押し付けて泣いた。その押し付け方が尋常ではないので、窒息するのではないかと父は本気で危惧した。かといって枕から引きはがそうとすると、泣き方はますます激しくなった。毎晩母の居場所をしつこく尋ねられて、父は答えられなかった。母が出て行った最初の日に、お母さんはすぐ帰ってくると言ったのがまずかったのだ。その時はすぐに泣きやんだ。父は幼い子供のことだから、そのやり取りは簡単に忘れ去られるだろうと思っていた。しかし次の日から、すぐっていつのことなのと彼は毎晩問いただされることになる。私は部屋が真っ暗でないと寝付けない子供だったので、豆電球も消した部屋のベッドの片すみで、父は私をなぐさめ続けた。でもその時の私に、父のなぐさめは聞こえもしなかった。結局有効な手立ても見つけられずに、父は私が泣き疲れて寝入ってしまうのを待つしかなかった。仕事から帰ってくると毎日同じことが繰り返された。子供部屋は父にとって、入り口も出口もない真っ暗な洞窟だった。ほんの小さなマンションの一室が途方もない空間になった。夜は地中深くに住むミミズのように際限のない長さを持っていた。そのミミズは父のまわりを、ゆっくりと何周もまわった。
 その頃の私には母が新しく暮らす町の名前も、そこが自分の住んでいるところからどれだけ離れているのかもわからなかった。父はそのことを教えなかったし、教えられてもまだ理解する年齢ではなかった。たとえ隣町に行ったと言われてもアメリカに行ったと言われても、距離の違いはわからない。私の前に広がるのは霧のかかった視界だけだった。
 週末になると父は私を連れて近所のスケート場に出かけた。子供用の小さなスケート靴を履き、手を引かれておそるおそる滑った。滑ったというよりは、氷の上にかろうじて立っているという状態だった。何度か連れて行ってもらっても、最初に氷に降りるときは必ず父の手にしがみついた。足の刃先が予期せぬ方向に滑り出して、そのまま体が持っていかれるのがたまらなく怖かった。私は父のコートをつかみながら母の不在を強く感じた。氷の上で父にしがみついていたその時、私は小さいなりに、これからはもうこの人と二人きりなのだと理解したのだと思う。
 手を引かれながらリンクを一周ばかりすると、疲れて座り込んだ。体力が追いつかないというよりは、氷が怖くてそれ以上気力がもたなくなってしまう。そのくせ帰ろうか言われると、帰らないと言い張った。今までまともに話したり遊びに行ったりしたことのなかった父を、子供なりに少し試してみたかった。私はそれまでほとんどわがままを言わない子供で、母は私が素直で大人しい子供であることを、自分に与えられた勲章みたいに近所の人や幼稚園のお母さんたちに誇っていた。
 仕方がないので父は一人で滑り、私はリンクの端のベンチで見ていた。一周目、二周目は私がちゃんとベンチに座っているか確認しながら滑り、やがて私がおとなしくしていることに安心すると、父は自分の滑りにのめり込んでいった。週末のスケート場にはたくさんの人がいた。みんながてんで自由な方向に滑り、派手に転ぶ人も小さな三角コーンを立ててフィギュアの練習をする女の子もいた。しかしそんな人たちは少しも彼の邪魔にはならなかった。父が彼らを避けているというより、父の進む先に自然と空間がひらかれていった。父は氷の上では限りなく自由で、生き生きとしていた。真夜中の暗い部屋で、不安げに子供をあやしているのと同じ人には見えなかった。氷上の彼には何者であろうと、手をのばすことはできなかった。私は買ってもらった缶のココアを飲みながら、自分の鼻が信じられないくらい冷えているのがおもしろく、ときどき手袋を脱いで触ってみた。冷たい鼻の向こうで、父は何周でも広いリンクを滑り続けていた。

 レンジの説明みたいな遺言通り、私は父の持ち物を全部捨てた。一番捨てたものは洋服。スーツ、ワイシャツ、Tシャツ、セーター、ベスト、ダッフルコート、色見本の端から端まで揃えたような数々のネクタイ。それから靴。革靴、スニーカー、サンダル、長靴、ジョギングシューズ。携帯電話。鞄。通勤用の鞄、リュック、ウェストポーチ、トートバッグ、スーツケース、病院から持ち帰ったボストンバッグ。大量の旅行雑誌、シェイバー、眼鏡、箸……。
 言われた通りに、高そうな腕時計も下着も等しくゴミ袋に詰めた。ゴミ袋はみるまに膨らみ床を埋めていった。部屋がせまくなって動きにくいので、途中何度かマンション下のゴミ捨て場を往復した。手当たり次第に袋を一杯にしているうちに、死ぬということは腕時計と下着の区別がなくなってしまうことなのだと思った。父の物は全て、自治会で配られたゴミ分別表付きカレンダーの指示によってのみ判断された。タンスを片づけ本棚を片づけ靴箱を片づけしているうちに、物の区別はどんどん曖昧になっていった。
 『必携・四十代男の夜食』、『アンドロイドは電気ウナギの夢を見るか?』、『ちょっとだけメルルーサ』、『あなたと食べたいカニクリームコロッケ』。目をひく本の背表紙も、本棚を半分空にしたあたりから注目すべき事項ではなくなった。同じ大きさの本を束ねて古紙回収に出したいので、見るべきところは本のサイズだということに気付いた。
 それでも服は父が常日ごろ身につけていたものだから、染みついたものが濃かった。とれかけのボタンなどひとつもない父の几帳面な性質や、靴下をグラデーションになるように色順に並べてしまう気のまわしかた、お気入りだけがしまわれた引き出しの段。そんなものが目に入ると、頭に音楽を流しながら捨てた。最近ラジオで聞いた平和なJポップ、体育祭で踊らされたソーラン節、打って変ってマタイ受難曲の知っているところを、年季の入ったカセットテープのようにカタカタと繰り返し流した。リズムに合わせるように、物たちはどんどんゴミ袋に押し込まれていった。とりわけマタイはしつこくて、手をとめて一息入れようとする時にもこびりつくように頭の中を流れ続けた。
 片づけは三日目の昼に終わった。二人暮らしの部屋にこんなに多くのものがあるとは思わなかった。ひとつ引き出しをあけると、引き出しのスペースの倍くらいの物が湧き出てくるのだ。
 唯一片づけ残していた歯ブラシの存在に気付いたのは、片づけが終わった日の夜遅くだった。夜中に喉が渇いて目が覚め、台所まで行くのが面倒で洗面台のコップで水を飲んだ時、父専用の歯ブラシ立てが目に入った。月影も射さない暗い海の水が、喉の奥を流れたみたいだった。半透明のブラシの毛はできたての霜柱のようにみずみずしく、引き締まった輝きさえあふれていた。ブラシの毛のかすかな広がりから、一週間前におろされたばかりの新品に見えた。父が入院してからも片づけずにそのままにしていたのだ。
 遺言には反するけど、歯ブラシを捨てることはできなかった。あの夜から今まで捨ててしまおうと思ったこともない。袋に詰めた父の荷物は全部ゴミ捨て場に運び、大きなものは半月先の粗大ゴミの日を待って出した。そのようにして全てがなくなった後も、歯ブラシは誰にも見返られない野花のように洗面所に突っ立っていた。


 葬儀を終え片づけを終え、その他ハンコと署名だらけの煩雑な手続き(これはほとんど祖父母がやってくれた)を終えた頃、やっと戻ってきた日常とともにムーミンおじが家にやってきた。
「調子はどうだい」
 おじはいつもと同じように言った。父より二つ下の独身のおじは、兄、つまり父が離婚してから頻繁にうちにくるようになった。シングルファザーになった父を助けるためなのか、私たち親子との交際を物足りない独身生活の余興とするためなのか、あるいはその両方のためによく遊んでくれた。
 造園師の彼はそういう体質なのか職業のわりに日焼けしておらず、並の人より色が白い。全身には穏やかな肉が気持よさそうについている。背も高く体も大きいのだけど、その場を圧するような雰囲気は微塵もない。そんな容貌と彼を思い浮かべる時にともなう空気が、どことなくムーミンパパに似ていた。そのため子供の私に「ムーミンおじさん」と呼ばれるようになった。母がいなくなってからのことだ。母がいた時は、おじはうちに足を踏み入れたことはなかったと思う。母とおじは心を開いて語らえるほど仲良くはなかったし、おじと仲のいい父はその頃忙しすぎた。初めてムーミンおじさんと呼んだ時、彼は神妙な顔をして湯気の立つ紅茶に角砂糖を二つ落とした。紅茶に入れていい砂糖は一つまでと母にうるさく言われていたから、そのことをよく覚えている。
「調子はどうだいってことは、ないよなあ」
 お決まりの台詞をつい口にしてしまったおじは、たいして後悔していない口調で言った。
「この間一緒にご飯食べたばっかりじゃない。元気だよ」
 おじは居間に入ると、いそいそとこたつにもぐりこむ。こたつは彼が父の誕生日に買ったものだった。
「いいこたつを選ぶのがうまそうだから」
 という判然としない理由でおととしの冬、父はムーミンおじにこたつを所望した。二人は変わった兄弟で、昔から互いの誕生日にプレゼントを贈り合っていた。男の兄弟がプレゼント交換をするなんて聞いたことがない。父が初めておじにプレゼントしたのは、給食のパンについてくるジャムだった。ジャムが出ると持ち帰って家の冷蔵庫に保管し、包装紙に入れて誕生日に贈った。おじはお返しに、公園で拾い集めたドングリをプレゼントした。おとぎの森の動物たちの物々交換みたいだ。
「大学は忙しい?」
「もう必要な単位はほとんど取っちゃったからそうでもない。手持無沙汰なくらいだよ」
「ふむ」
 おじは船乗りが風を読むような遠い目つきになった。大学生活に暇があることがたいそう不思議に思えるらしい。黒目がくっきりと濃く、丸々としてくる。
 ときどき、ムーミンおじの黒目は電灯の光を受けつけなくなる。何の光も反射しなくなり、そのかわり彼が体内で合成する彼自身の明りで輝きはじめる。古代ギリシアかインドの人だかは、瞳の輝きはその奥で小さな炎が燃えているからだと信じていたそうだけど、まさにそういう感じだ。体の大きい結婚歴なし独身のおじが、そんな小さく神秘的な炎を持っているというのは不思議だけど。
「そういえば、成績優秀者として返還不要の奨学金をもらったよ。こう見えてもまあまあ優秀なの」
「ふうん。なにごとも、まあまあがいいな。まあまあ以下では淋しいし、まあまあ以上にできるというのも、それはそれで苦労が多そうだ」
 おじはややこしいことを言いながら、湯のみを持ち上げた。
「なんだこれは。香ばしい」
「コーン茶だよ。炒ったとうもろこしのお茶」
 こたつの効果でもう十分に温まっている両手を湯のみに巻きつけてさらに温めながら、おじはふた口目を飲んだ。私たちはしばらくお茶を飲んだり空の湯のみを見つめたりして二人の間の時間をつぶした。どちらとも何を喋ろうという気もなかった。窓の外は暗くなっていった。目覚めに残った夢の尾っぽのように、残った夕日は急速に色を失っていく。私は落ちていく日を見ながら、父が死んだことを昔見た映画のワンシーンみたいに思い出す。そしてその記憶がすでに古く錆びついてきているのに驚く。おじに何か言おうとしたけど、そのことをどう説明したらいいのかがわからずやめた。
 部屋が暗くなるとこたつを立って部屋の電気をつけた。ムーミンおじは明るくなった天井を見上げて、「ああ」と言った。久しぶりに地上に出てきて、星に気付いたもぐらみたいだった。
「何か困ったことはないの? 家の中を見る限りうまくやってるみたいだけど」
 彼はとってつけたように親戚のおじさんらしいことを言う。
「困ったことがあったら遠慮なくおじさんに連絡するから大丈夫。電球の取り換えとかね」
 冗談で返したのだけど、ムーミンおじは沈黙した。電球の取り換えについて考えているのだ。私は地中で暮らすもぐらは目が退化していて、ほとんど視力がないことを思い出した。いつかテレビの教育番組でやっていた。『驚き! 知られざるもぐらの生態』。もぐらは空の彼方の星について何も知ることはない。星どころか頭を出した先の石ころも見えないかもしれない。
 おじはまだ天井を見上げている。ムーミンおじは大体いつもこんな感じ、つまり黙って湯のみを眺めたり天井を見つめたりする人なのだけど、今日は特にその傾向が強いようだ。
「ねえ、夜ご飯に出前でも頼もうか。もう寒くて外に出るのも嫌だし。おじさんどうせ朝とお昼食べてないんでしょ」
 電球と一体になりつつあるおじに声をかけた。彼は面倒くさいしお腹もしょっちゅう空かないから、という理由で朝と昼の食事をとらない。そのかわり夜に少し豪華なご飯を食べる。質的に豪華というか、カロリー的に豪華である場合が多い。眠る前の時間にも平気で食事をとる。この習慣によって、おじの絶妙な体型は形状記憶合金のごとくに保たれている。
「ピザにしようよ」
 おじが言った。
「また子供みたいなものを。パイナップルとか、変なのが入ってないやつね」
 私はおじの提案につけくわえた。最近CMで見るパイナップルが乗ったハワイアンなピザは全然おいしそうに見えない。パイナップルはおいしい。ピザもおいしい。でもふたつが組み合わさったものには納得がいかない。まあ、食わず嫌いなんだけど。
「おじさんもそれには共感だ。酢豚然り、あれはフルーツのくせに公然とおかずに入ってきて許せん」
 机の引き出しから宅配ピザのチラシを探してきて、私たちは真剣に注文すべきピザを検討した。父がいる時は出前といえば丼物が蕎麦だったので、ピザのメニューは見慣れなかった。ピザの耳には食べ応えのある厚いタイプと薄めで歯ごたえのいいクリスピータイプがあって、どちらかが選べる。さらに、ピザは数ある種類のなかから二種類を組み合わせたり、四種類を組み合わせたりすることができる。チラシによれば二種の組み合わせからなるピザをハーフアンドハーフ、四種からなるピザをクォーターと呼ぶらしい。あとはチラシについたクーポン券を、エビのサラダか玉ねぎのスープ、もしくはチキンナゲット五個入りのうちどれかと引き換えることができる。
「はあ、ピザの注文って慣れないと算数のテストみたい。AとBとC とD、全ての組み合わせを考えなさい。っていう」
「樹形図っていうのを書くんだろ。昔習った。僕は樹形図を書くのは嫌いじゃなかったけどね。地道だけど確実な感じが好きだ。マスカラを塗られたまつげみたいに、線がどんどん増えておもしろい」
「ムーミンおじ、マスカラしたことあるの?」
 思いもよらないことに、こたつを乗り出して尋ねた。
「なんで僕がマスカラなんか塗るんだよ。電車で女の人がするのを眺めてるんだよ」
「眺めてるのね」
 納得すると、再びチラシに集中する。悩ましい。父の遺品を片づけてた時より、よほど悩ましかった。あの時は選択するという作業はなかった。
「ルールを決めればいいんだよ」
 ムーミンおじがチラシを自分に向くようにひっくり返した。
「ルール?」
「食べる人数は二人だから、僕たちは一種類ずつ好きなものを選んでハーフアンドハーフを頼もう。クォーターは荷が重いからその存在は忘れる。パイナップルの有無に気をつける。鬼畜パイナップルが入っていないものを選ぶ」
「クーポン券と耳のタイプは?」
「うむ。では一人にひとつずつその選択権を与えることにしよう。じゃんけんして、勝った方が自分の欲しい権利を選べる」
 ムーミンおじの目はエビチリマヨネーズピザとサラミピザのあいだを行ききしている。とてもわかりやすい。彼がエビチリマヨネーズを選んだら私はサラミピザを、サラミピザを選んだらエビチリマヨネーズピザを選ぼう。
 二人で協議した注文の結果をフリーダイヤルのお姉さんに伝える。お姉さんは形式上注文内容を確認するけど、注文が間違えられることはまずない。お姉さんとあまたの客とのやりとりは今まで何千回も繰り返され、彼女は不自然なくらい完璧にピザの注文に習熟している。よどみなく規則的な口調は私をそんな想像に誘った。彼女の言うエビチリマヨネーズピザは、前世からピザの具になるべく宿命づけられたエビと冷徹なマヨネーズでできている。チリソースは自分に与えられた味つけの役割を一分の隙もなくこなすのだ。私の知ってるピザじゃない。ピサは四十分後のお届けになります。彼女は言った。へえ、そんなことまでわかるんだ。お姉さんはこの界隈のピザの動向をひとつ残らず把握しているに違いない。
 電話を切ると気が抜けた。絨毯に落ちていたリモコンを拾ってテレビをつけたが、特別見たい番組があるわけではない。ムーミンおじとなら静かにピザを待っても全然気まずくないけど、テレビの音が歩き慣れた都心の雑踏のように懐かしくなった。
「それでは金子さん、明日のお天気をお願いします」 
 人気のお天気お姉さんが、ひと呼吸おいて関東甲信越の気象情報について説明をはじめる。金子さんの口から聞くと最低気温マイナス1度もあったかそうに聞こえる。夏だったら、最高気温40度超えももちろん涼しげに聞こえる。金子さんはいい。ピザ屋のお姉さんも見習ったほうがいいだろう。
「ねえ友里ちゃん」
「ん? ああ、金子さん、いいよね」
「いやいやそうじゃなくてさ。兄さんが歯磨きする理由を知ってた?」
「口内の衛生を保ち、虫歯を予防するためでしょう」
「いや、そっちじゃないほうの」
「自らの失恋を思いながらってほう」
「知っていたんだね」
「酔っぱらって帰ってきた時に話されたの。次の日はヘビー級の二日酔いになってた。でも、どうしてあのしつこい歯磨きをずっと続けていたのかはわからないよ」
「歯磨きによって癒えない失恋の傷を慰めていたんじゃないの」
「そんなに長い間失恋の傷を負い続けることって実際できるのかな」
「そのうちに、習慣になっちゃったのかもしれないね」
 おじは知ったような顔で言う。
「ふうん」
 会話はそれきりになった。おじと私はなんとなくテレビを見て時間をつぶした。夜のニュースは中東の紛争について報じていた。四十分で配達されるおいしいピザのある世界からはあまりにも遠く、誰かが見た悪い夢の話を聞いているみたいだ。アナウンサーは禁欲的な抑揚をつけて、小難しい教義を伝えるようにニュース原稿を読み上げている。おじはこたつに半身をもぐりこませたまま、横になって眠ってしまった。こっちは天敵のいない島の平和なアザラシみたい。
 ニュース。洗剤のCM、車のCM、医療保険のCM、ファーストフード店のCM、携帯電話会社のCM、またニュース。私はテレビを使って時間を潰しているつもりだったけど、ぼんやりと画面に見入っているうちに、そうではない気がしてきた。こちらがテレビを利用しているのではなくて、どうやらテレビの方が私の時間を食い尽くして好きなように使っているようなのだ。
 洗剤は強力な界面活性剤の働きで油汚れが一瞬で落ちるものを買うべきかも。A社の医療保険に入れば不確かな人生に薄明が差すに違いない。車は自動ブレーキで危険を察知してくる新型車でなければ危ない。ファーストフード店にもたまには行ってみてもいい。携帯を変えるには今がちょうどいいタイミングだ。ニュース。この世で起こる大半のことが悪い出来事であるように思う。少子化でこの国は明日にでも崩壊するのではないか。
 テレビの語る限定された世界に、自分という頼りない存在がどんどん吸い込まれていくのを感じる。放っておくとテレビはみる間に巨大になっていく。ニュースを読み上げる人もCMをつくった人もテレビそのものを製造した人も、誰もそんなことを意図していないのに。
「ムーミンおじ、風邪引くよ」
 おじに声をかけテレビの電源を切った。すると世界中の全ての音が消えた。私は何かひとつでも音を聞き取りたいと、両目を閉じて神経をすませた。すきま風のようなおじの寝息が聞こえてきた。少し気持ちが落ち着いていく。時計を見ると、あと十五分後にピザがくることになっていた。

 父が亡くなってから季節がひとつ変わった。いや、梅雨もひとつの季節と考えるなら、春と梅雨でふたつかな。とにかく今は何もない夏休みだ。来年四月からの就職先は6月には決まっていた。街では暑苦しいスーツを着ている就活生を見かけるけど、私はもうお終い。卒論もまだ焦らなくていい。春学期のうちに大方の資料は集めてしまったし、大体の筋道はもう頭にある。あまり進めると秋学期のゼミでやることがなくなるからわざと手をつけないようにしているくらいだ。同じ大学四年生なら誰もがうらやむ状況だろうな、と思う。
 しかしこれといってやることがないせいで、毎日は気の抜けたソーダ水のようにものうく流れる。炭酸の刺激も、冷たい喉越しも何もない。そして全てのものがたえまなく揺らぐ。輪郭がぼんやりと二重三重に広がって正しく定まらない。日々は水を吸った食パンのように無意味に膨張していく。大学の図書館に出向いてみるか、近所の喫茶店で本を読んで一日を過ごすか半日悩んで、結局一歩も外に出ないことも稀ではない。たまの買い物に出る日は、自転車を漕いで日持ちのする食材を大量に買い込んで帰る。そんな毎日。
 卒業していった先輩たちは働きはじめたら目も当てられないほど忙しくなるから、大学生のうちに遊べと言う。同じゼミの美都子なんかは夏休みの前半にかけもちのアルバイトを詰め込めるだけ詰め込んで、後半はヨーロッパ旅行を計画しているらしい。私も去年の夏休みはバイトに励んで遊びに精進したけど、今年はどうも力が湧かない。今年が最後、と思っても全然駄目だ。
 父のものを処分してから自分の体温がいくぶんか低くなった気がする。冬眠中のカメのように生命維持に必要な最低限の器官だけを働かせて、エネルギーの消耗を減らし、冬の終わりと春のはじまりをじっと待っている。
 父の物を何もかも処分するのは、まるで父が生きた形跡を次から次へとなぎはらっていくようだった。誰かに属していたものをひとつ残らずゴミ箱に捨てる。この家にわずかに残ったその人の影は、たったの三日で全部消えた。罪悪感、というほど大げさなものじゃない。彼の衣類や書籍を持ってこれから生きて行くわけにはいかない。就職したら一人住まいに見合ったアパートに越す予定だし、何より処分は父との約束だった。でもその作業をすることによって、自分を構成する部品のどこかひとつが何センチかずれてしまったのだ。ほんの少しのずれ。しかしちょっとの靴ずれでうまく歩けなくなるように、その小さなずれは何かを変えた。その何かを思うとき、必ず洗面所に残された歯ブラシが目の前をよぎる。ブラシは研磨された細い骨のように見えた。生きていた頃のしなやかな体を感じさせる骨だ。
 チャイムが鳴った。どこか高いところから鈴が落ちたような音だった。強引な新聞の売り込みを警戒しながら、出しっぱなしの靴やサンダルたちを押しのけて玄関に出た。この玄関こそ、掃除しなくちゃ。ずいぶん前の大雨で駄目にしてしまったスエードのパンプスに片足を突っ込みノブをまわした。
「新聞なら結構です」
 相手の顔も見ずに言った。信じられないことに、この一週間で三人もの人が私に新聞を勧めにきていた。
「いえ、新聞じゃないんです」
 目の前の女の人はさわやかなブルーのスカートに、風のようにうすいシャツを着ていた。彼女が喋るとその襟もとが揺れ、首筋には細いネックレスが流れている。落ち着いた声が通り過ぎていった年齢を思わせるけど、すらりとした体につい見とれてしまう。確かに新聞を勧めてきそうには見えない。
「突然お訪ねして申し訳ありません。私、水津と申します。こちらに三和文香さんはいらっしゃいますか」
 文香というのはムーミンおじの名前だ。全く似合わないけど。
「いえ、おりませんが」
「私は文香さんの知り合いなんです。実は彼の行方がわからなくなって」
「おじが?」
「先週末に彼と会う約束をしていたんですが、待ち合わせの店にこなかったんです。約束を忘れるような人ではないんだけど連絡を取ってみても繋がらなくて、日を置いて連絡してもやっぱり圏外になっていて。家にもいないみたいなの」
 女性はまるで自分が言っていることが本当なのか確かめるように、こちら目を見た。
「何か手がかりはないだろうかと彼の家のポストをのぞいてみたら、新聞に押し出されてハガキが見えたんです。そこに、友里さんの名前がありました。文香さんはよくあなたの話をしていたから、すぐにぴんときました。それでほかに心当たりもなから、迷惑とは思いつつこうしてお訪ねしたんです」
 確かにムーミンおじに書中見舞いを出した。夏バテするから素麺ばかり食べないように注意を促したはずだ。そういえば暑中見舞いの返事はきていない。案外筆まめなおじにしては変わったことだ。
「つまりおじと、しばらく連絡が取れないってことですか?」
「そう。私の取り越し苦労ならいいんだけど、今までこんなことってなかったから」
 彼女は息をついた。飴細工みたいによくできた息のつきかただった。彼女がきれいな中年の女性であるせいかもしれない。
「ちょっと待っててください」
 私は一度玄関の扉を閉めて部屋に戻り、携帯でおじの番号にかけてみる。発信の間があって、それからくぐもったコール音が聞こえてくる。そして水津さんの言ったように圏外の通知が聞こえる。
「今電話を鳴らしてみたけど出ないみたいです。仕事中なのかもしれないけど」
 玄関に戻って改めて全身を見渡すと、彼女は脚の形がとてもきれいだ。華奢な草食動物の脚を思わせつつ、芯にはしなやかな強度がありそうだった。それが砂を集めたようなストッキングに包まれて、ますます視線を吸いつける。
「ありがとう。もし連絡が取れたら、私のことも伝えてもらえるかしら。本当になんでもないといいんだけど」
「大丈夫ですよ。きっと携帯をトイレに落としたとか、そんなところですよ」
 水津さんは小首を傾げながら笑った。彼女は小さじスプーン一杯分の笑顔を残して帰った。私たちは連絡先を交換して、おじと連絡がとれたら教え合うことにした。しかしそれから三日間おじとは一向に連絡がつかず、朝晩彼に電話するのが日課になってしまった。暑中見舞いの返事もいつまでたってもこなかった。はじめは水津さんという女性の心配のし過ぎだと思っていた。しかし彼女の言う通りこんなに連絡がつかないというのはどうもおかしい。  
 おじの職場に問い合わせてみようかとも考えたが、思えば私はおじの勤め先の名前すら知らなかった。そこでようやくおじの家を訪ねることを思いついた。電車で三十分足らずの距離だし、なにせ毎日暇なのだ。素麺の食べ過ぎも、もし素麺ばかり食べていたらだけど、いさめなければならない。ムーミンおじは夏に弱いし、手の込んだ料理を作らないおじが毎日素麺を食べているのは想像に難くない。ひょっとしたら季節外れのインフルエンザで寝込んでいるのかもしれない。
 
 ホームの自販機でカルピスを買ってベンチに腰かけた。平日の昼間に駅には誰もいなかった。いつもは背広のサラリーマンや親子連れがいるのだけど、今日はそんな人たちも見えない。太陽の光がじっくりと足元のアスファルトを熱していた。卵を割ったらあっという間にかりかりの目玉焼きができあがりそうだ。帽子も日傘も用意してこなかったのを後悔しながら、ひさしのある場所に移動した。
 目のまわるような、青すぎる青空の下を電車は走った。鈍行の電車はひと駅ひと駅息を吸うように扉をあけた。入ってくる風は季節の香りを密に含んでいる。扉が開くたびに深呼吸をして、ここ二日外出せず関節の硬くなった体に空気を送り込んだ。電車が走りはじめると、床にできた光のたまりも一緒に動いた。窓枠の影もそれにつられてつぎつぎ動く。その窓枠の中をムーミンおじが横切った。私は反射的に腰を上げたが電車のドアは閉まったばかりだった。ベルの合図とともに走り出した電車は、私の焦りとは無関係に速度を増していく。ホームに強く日が差して金色になった。金色のなかにいるおじは、大きなボストンバッグを持って歩いていた。
「おじさん」
 呼んでみたけど聞こえるわけはない。おじはものすごい速さで私の前を過ぎて行った。実際には私の乗った電車がムーミンおじを追い越して行くのに、おじのほうが私を取り残して過ぎていくように感じた。彼は太陽に照らされて黒い影を落としていた。それは何かが焦げ付いたかたまりみたいに見えた。おじがいたのはここらへんでは大きな駅で、新幹線も止まったはずだ。私はとにかく隣の駅で電車を降り、ひと駅引き返しておじのいたホームに駆け付けた。当然ながらすでに彼はいなくて暑さが頬を焼いた。なんでこんなに太陽が強いんだろう。黒く濃い色をしたおじの影を思い出す。片足を踏み入れたが最後、ずぶずぶと沈みこんでいきそうな影だった。どうしようもなくてひさしの途切れるホームの一番はしまで歩いてみた。おじがボストンバックを抱えるように持ちながら立っていたところだ。私は馬鹿にしていたけど、彼は先頭車両に乗るのが好きだった。子供の頃、遠出する時は電車の先頭から景色を眺めている記憶がいつもあった。てっきり自分がその場所を気に入っていたものだと思っていたけど、そこはムーミンおじの好きな場所だった。私は彼にうながされるままに先頭車両に乗り込んで、目の前から飛び込んでくる景色を眺めていた。
 その後もおじとは連絡がとれない。私が毎日鳴らす電話のベルは、その度にどこでもない場所に響いて消えた。水津さんにはおじを見かけたことを電話で伝えた。おじが無事生存していることはわかったから、家でぶっ倒れているんじゃないかと差し迫って心配する必要はなくなった。それよりも、私や水津さんに何も言わずにいなくなってしまった理由が気になった。





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