ブラインド・ワールド(8)






 午前の授業が終り、サクラがフィネの机に近寄ってきた。相変わらず長そでの制服を着て、袖口から見える指先は見る度に細くなっているように思えた。その手は鮮やかなオレンジ色の弁当箱を持っている。眩しすぎる色は持ち主の印象と全くそぐわず、まるでサクラは弁当箱を持て余しているようだった。
「フィネ」
 サクラの声が、せわしなく教科書を鞄に片づけるフィネの動きをとめた。フィネは数秒サクラの顔に目を留めて、鞄の奥底を漁りだした。彼女はそのうち頭まで突っ込み始めるのではないかと心配になるほど熱心に鞄をかき回し、弁当箱を引っ張り出すことに成功した。それほどまでに捜索の困難を極めるフィネの鞄には、教科書やノートが無秩序に放り込まれている。その上に更にばら撒かれたプリント類は、鞄の中の視界を一層悪いものにしていた。
「うん、覚えてる。一緒にお弁当食べる約束したんだよね。天気がいいから、外で食べよう」
 フィネが立ち上がりながら言うと、サクラは軽い微笑で頷いた。
 フィネとサクラが教室を出ると廊下の壁に持たれかかったルカが手を挙げた。
「遅いじゃないか。早くしないと昼休み終わるぞ」
 ルカはぶっきらぼうに言ったが、片手にはちゃんと弁当を携えていた。


「ここよ、私一押しの弁当スポット」
 二人を引き連れて校庭に出たフィネが指さしたのは、力強く地面に生える大木だった。
 振り返ったフィネの言葉にサクラは首をかしげていたが、ルカは諦観とともにひきつった笑いを浮かべた。
「ここに登ってお弁当食べると気持ちいいのよ、とか言い出すんだろお前。お前は猿でも俺とサクラは人間なの。飯くらい地に足のつくところで食わせてくれよ」
 彼の言葉にサクラはやっとフィネの思考が読めて、くすりと笑った。崩れていくように外気にかき消される、小さな笑いだった。
「でも木の上、ほんとに見晴らしがいいのよ」
 フィネは未練がましそうにルカを睨みながらも、木の根に座りこんで弁当を広げ始める彼の横に座った。そのフィネの横に、サクラの細い体が腰を下ろした。
 桜の花びらは昼の日差しに一層の色艶を与えられ、過ぎゆく時間を舞った。一枚の桃色が、フィネの弁当にとまった。 「きれいね」
 フィネは花びらを指でつまんで持ち上げ、日の光に透かして見た。サクラも横から、その薄い花弁を眺めている
「食うなよ」
 ルカがフィネの横顔を見ながら無粋なことを呟くが、それは相手がフィネである以上、無粋どころではなく極めて適切な警告に思われる。
 サクラはそれがおかしかったのか、今度は小さな肩を揺らしながら笑った。笑い声からは若やいだ香りがしたが、やはりそこには何物にも逆らえない儚さの気配があった。体の芯から漏れ出た音という感じがしないのだ。
 ルカは盗み見るように、サクラの細い腕に視線を落としていた。
 彼女はその腕で、弁当の包みをそっと開いていった。その動きはまるで、何か大切なものを扱うようなときの慈しみの手つきに感じられた。動いているのに、動作の底には圧倒的な静けさがあった。
「あ、ニタマゴは作り忘れたの?」
「うん」
 サクラの弁当を覗き込んだフィネの問いに、彼女はぎこちなく頷いた。
「そうかあ、残念。でもそのポテトサラダおいしそうね。ちょっとちょうだい。私のお弁当から好きなのとっていいから」
 フィネは言い終わるか終らないかのうちに、サクラの弁当にフォークをのばした。するとフィネの動きを見たサクラは驚いたように目を見開き、何か抗いようのない必死さで弁当を手で覆った。
「駄目」
 サクラの声が鋭利な響きをもって、フィネの耳に飛び込んだ。
「ごめん、これはフィネには食べてもらえないわ。私料理がとっても下手だから」
 サクラはとりつくろった声で、そう付け加えた。
 ルカはちらりと彼女たちのやりとりを見てから、自分の弁当に手をつけ始めた。





inserted by FC2 system