あの人(1)






 あの人をほとんど覚えていない。私が小学校に上がる前に、母は私を連れ、高円寺の祖父母の家に移った。私があの人と五年間を過ごした名古屋の海沿いの町は遥かに遠ざかり、あの人に会うことも二度となかった。
 車窓の外を流れていく景色を眺めながら、私はあの人のことを思い出そうと躍起になっていた。母は隣の運転席でハンドルを握り、カーステレオから流れる洋楽を小さく口ずさんでいる。
「茜さん、スピード出し過ぎ」
 母は「そう?」と首をかしげ、なんにも気にとめずにアクセルを踏み続けた。私は母のことを「茜さん」と呼んでいる。何年か前に、母親や父親と友人同士のように一緒に出かけたり、互いを名前で呼び合ったりする「友達親子」という言葉が流行し、私のように実の親を名前で呼ぶ高校生はそう珍しくもないが、私と母の場合はそうじゃない。
 母は「お母さん」という言葉に、あの人と三人で暮らした五年を結びつけているらしい。だから幼い私がなんにも知らずに母を「おかあさん」と呼ぶたびに、とてもいやな顔をした。一方で、「まるで遠い親戚か義母の呼び方みたいだ」と祖父母はやっぱりいやな顔をしたが、私にとっては「茜さん」が母を指す言葉として一番しっくり来ている。
 色濃い緑が車窓一面に広がっている。新幹線の駅を降りたときは、東京駅とそう変わらないただの都会だったのに、レンタカーに乗って高速道路を降りたとたん、景色がぐっと開けた。愛知と静岡の県境の、田んぼとファミレスしか見あたらないこの田舎町で、あの人は育ったらしい。たぶん、生まれてから何回かは来たことのある町だけど、私はこの景色のことをまるで覚えていない。
「茜さん、私、昔、あの人のこと、なんて呼んでたっけ」
 こんなこと、いつもなら絶対に口に出せないけど、今日くらいは許されるだろう。私は車窓に顔を向けたまま、なるべく興味なさそうに尋ねた。母は洋楽を口ずさむのをやめて、ちょっとだけ黙った。
「おとうさんって呼んでたよ」
 そりゃそーでしょ、と母はあきれ気味の声で付け足す。そりゃそーだけど、もう十年以上会っていない男の人を、自分がかつて「お父さん」と呼んでいただなんて信じ難かった。
 私と母は、彼を「あの人」と呼び習わしている。これは母に強制されたわけでもなんでもない。圧倒的な距離に区切られたその人を、私は「お父さん」とは呼べなかった。
「美南、ほら、あのトンネル」
 母が声を張って左側に目配せした。
「何?」
「あそこ、お化けが出るんだって」
「うそだ」
「うそじゃないよ。テレビにもよく出てるよ。女の人の亡霊が追いかけてくるんだってよ」
 私が小さい頃に『ゲゲゲの鬼太郎』にはまって、眉唾物の心霊番組をチェックしていたせいで、今では母の方がオカルト事情に詳しい。私も小学生の頃は、週末に母と一緒に録画した番組を見るのが楽しみだった。
 そんな記憶に上塗りされてしまったのだろうか。それとも単純に私が幼すぎたのだろうか。お化けの出るトンネルのことも、雑木林を無理やり切り開くみたいに舗装されたアスファルトの道のことも、きっとあの人が運転していたのであろう車中の会話も、私は何一つ思い出せなかった。
 あの人のことで私が覚えているのは、ほんの微弱な、震えのような、断片的な印象だけで、この記憶の中にいるのが本当にあの人なのか、それとも私が勝手に想像したあの人の姿なのか、それすら定かでなかった。
「茜さん」
 なんとなく呼んでみたけど、話すことは特になかった。声はたちまちエンジンの音に巻き込まれ、母は再び洋楽を口ずさむ。
 あの人の暴力が原因で、母はあの人と別れたらしい。だから記憶を上塗りすることに熱心だったのは私よりもむしろ母の方だったと思う。「茜さん」という呼び方はまさしくその一手段であったのだろうし、我が家にあの人の写真が一枚も残っていないのもきっとそういうことなのだ。ただ「男はきちんと選びなさい」と母が私に子守歌のように言って聞かせるたびに、むしろあの人の存在感は増した。私がいくらあの人の顔や声を忘れていっても、きっと私はあの人の存在を忘れないし、母も間違いなくあの人を一生覚えている。でも、母が私の中からあの人の息づかいを細かく塗りつぶし続ける生活も、明日で終わりだ。
 カーナビの画面に目的地を示す星のマークが現れた。
「そろそろだよ」
 母は言いながらハンドルを右に切る。やっぱりスピードの出し過ぎで、思いっきりシートベルトが体に食い込んだ。雨でさびた旅館の看板が、曲がり角に立っている。青々とした尾根のあたりに赤茶の瓦屋根が見えていた。夏草の緑が目にまぶしい。空は稜々と澄み渡り、かすみのように薄い雲がかかっていた。
 私の父であり、母の元夫である「あの人」の、今夜は通夜だ。

 なんでこんなところにきたんだろう。
 この町についてからも、私をここまで連れてきたものの正体はわからなかった。あちらの親戚とは全く縁が切れているし、明らかに夫の側に非があっての離婚だったのだから、私が通夜に出る義理などなかった。向こうの人達だって、私と美南の姿を見ても懐かしいどころか気まずいだけだろう。
 あの人とはとうの昔に別れ、以後一度も会っていない。慰謝料や養育費のやりとり以外の用事でこちらから連絡をしたこともないし、向こうから連絡がきたこともない。いや、一度だけ、両親の家に暮らしはじめてからひと月ほどが過ぎた夕方、あの人の気配が訪れた。あの人から、真新しい段ボールが届けられた。宅配表には旧姓に戻った私の名前が見慣れた癖のある字で書かれ、今にもひからびそうな「様」という字画の多い漢字がぽつりとそえられていた。中には私のCDと、玄関に飾っていた気に入りの猫の置物が入っていた。どちらも運送の途中で傷つくことがないよう、念入りな梱包がほどこされていた。
 妙に丁寧なところのある人だった。割れ物を梱包するような丁寧な手つきで私に触れるどころか、あの人は何もかも粉々にしようと、吐き出す息まで棘のようにして私に突き刺したというのに。あの人は、荒々しい暴力のなかにだけ生きていればよかったのだ。私はそのバランスの悪さが嫌だった。
 居間で荷物の中身を確認し終わったとき、床に座る私はわき出る雲のような包み紙の大群に四方を取り囲まれていた。すみれの花の色をぼかしたような、薄いけれど綺麗な紙だった。一連の離婚の騒動のなかで、なぜかその時の包み紙の色が最も強く記憶に残っている。特別に何かの意味を訴えかけてくるわけではないけれど、瞼の裏にぼうっとその色が浮かぶ。CDはいらないものなら何でももらうという業突張りの友人に譲り、猫の置物はもちろん玄関に飾ることなく、押し入れの奥にしまった。
「きれいな旅館だね。外の看板はぼろかったけど」
 私が急須でお茶をつぎ終えるのを待ちかまえていたように美南が言った。
「古いけど、よく手入れされているって感じだね」
 片田舎の名も知れない旅館だが、畳の目の一本まで気持ちの行き届いている感じがした。過剰なところも、足りないところもない。テーブルの上の小さな漆の盆には、二つの茶菓子が押しつけがましくなく並んでいた。庭の草花は額縁に飾られた絵のように窓枠に馴染んで見えた。
「通夜って、なんでやるのか知ってる?」
「え」
 熱いお茶を冷ましながら飲むだんまりから抜け出して、美南に言った。
「通夜をやる理由」
「死んだ人に、お別れをするためじゃないの?」
 美南は細い指で茶碗の縁をなでるように触りながら答えた。本当に爪のきれいな子だ。凍りついた湖から引き揚げてきたように澄んでいる。心臓から流れついた薄い桃色の血色が、にじむように広がっている。この子の体中で一番きれいなところって、爪じゃないかと思う。
「昔、人が死んだことを判定する技術が進んでなかった時代にね、死んだと思っていた人が生き返ることがあったんだって。生き返るっていうか、本当は死んでいなかっただけなんだけど。でも、昔の人には生き返ったように見えたんだろうね」
「生き返る」
 美南が先生に言われたことの要点をまとめるみたいに復唱した。
「だから死んだと思ってからもしばらく死体を監視しておく必要があった。でも、死体と二人きりで過ごすのってなんだか怖いじゃない。それで大勢でお酒を飲んだりおいしいものを食べたりして、気がまぎれるようにしたんだって。それが通夜」
「そうなんだ。ドラマとかで、立派なお寿司がずらーっと並んでるもんね。茜さんって変なところで物知りだよね」
 美南は頷いて、またお茶を飲んだ。
 その動作が大人の女の人みたいだった。爪のせいだろうか。家の外で見る美南の爪はいつもより鮮やかで、浮き立って見えた。それとも美南が「お母さん」という言葉を使わず茜さんと私を呼ぶからだろうか。いや、でもそれはいつものことだ。顔も覚えていない父親らしき人の通夜に出るということが、美南を大人っぽく見せているのだろうか。
「明日って、急いで帰らなくてもいいんだよね」
「そうね。明後日も仕事休みだし。名古屋観光でもしてから帰る?」
 私も、この町から家にまっすぐには帰りたくなかった。あの人の空気をそのまま家のなかに持って帰ってしまう気がした。
「それもいいけど、海に行きたいなあ」
「こんな季節に海?」
 季節は夏の盛りを迎えようとしていた。緑は一年で最も濃くなる。葉っぱ本来の緑が濃いのか、あまりにも強い日差しがそう見せているのか、区別がつかなくなるような季節だ。
「こんな季節だからだよ」
 美南は言いながら、テーブルの上に置かれた番組表の紙を眺めはじめた。旅館の人が毎朝、新聞からコピーしてくれるものらしい。
「夏の海って、商業的に過ぎるから嫌い」
「茜さん人ゴミが嫌で、私を海に連れていってくれなかったもんね。夏休みが終わると、友達が海に行った話を聞くのが羨ましくってたまらなかったんだよ私」
「でもいつか、三年生くらいの時に、沙希ちゃんのお母さんに連れて行ってもらってたじゃない」
フリルのついた真新しい水着の色を思い出した。学校用の地味な紺色の水着は絶対嫌だと美南が言い張ったので、デパートに二人で水着を見に行った。自分は水着なんてもう一生着ないだろうなあと思いながら、カードで会計を済ませたのを覚えている。
「夏休みの最終日ですごく混んでたんだよね。あれで海への憧れが全部吹き飛んだ感じ。日に焼けて肌はただれるし、沙希ちゃんが海のなかでおしっこしたいって言ったら、沙希ちゃんのお母さんがここでしちゃいなさいって言ったのが衝撃だったし」
「それ、ちょっと嫌だねえ」
 美南は本当に嫌そうな顔で首を振っていた。
 私たちは時間がくるまでお茶をおかわりしながらとりとめもないお喋りを続けた。車のなかの二人より、会話は自然に続いていった。それぞれ熱心に番組表を眺めたけど、テレビはつけなかった。賑やかなドラマやバラエティーを途中で放棄し、暗い画面を残して部屋を出て行くのはなんだか嫌だった。テレビを消したときは、つける前より静寂が増す。あの人との違和感ある時間をごまかそうとテレビをつけて消すときのその感じは、雨の日の夜気のようにまだ私にまとわりついている。

 私の知らない人が、遺影の中で少しだけほほえんでいた。通夜の参列者は少なく、私の祖父母くらいの年の人ばかりだった。眠くなるような読経、彩り鮮やかな花々、しずしずと棺桶の前に進み出る大人たちの丸まった背中、その頭の上の、しょぼくれた風貌のあの人。紺のネクタイを締め、浅黒い頬にしわを刻んで、ほんの少し口角をつり上げて、私たちを静かに見下ろしている。白くすべらかな棺桶の前に立って頭を下げているのは、たぶん私の元親戚に当たる人たちなのだろう。焼香のときに手を合わせながらこっそりまぶたを開けて母や元親戚の表情を伺ったが、彼らはまるでビジネスのような味気なさで一礼し合っただけで、この人たちの間にかつてあった泥沼の禍根なんてみんなすっかり忘れてるんじゃないかと錯覚しそうになった。
 棺桶から、あの写真のおじさんがむくりと起き上がり、死んだなんてうそでしたー、と笑ったらどうだろう、と想像した。母が昼間、旅館で話したお通夜の意義通り、あの人が生き返ったとしたら、私たちは喜べるだろうか。
 私と母は焼香を終えると、早々に斎場を後にした。迷ったけど、喪主、つまりあの人の新しい奥さんには、挨拶しなかった。
 やっぱりだめだった、と母の荒い運転にゆられながら思った。車窓の外の木々の間から、薄暗い空がこぼれ落ちていた。あの人の娘だった頃の記憶なんてとっくになくしているくせに、それでもここに来れば、あの人を悼めると思った。でも、私は結局最後まで知らないおじさんの通夜に出ているようで、まるっきり場違いだった。
 あの人の人生で、私の存在はいかばかりのものであっただろう、と考える。ほんの短い時間だけ、親子だった私たち。
「茜さん、明日の告別式も出るんだよね」
「お昼からだっけ。それより旅館のお風呂、広いらしいよ」
 母は旅行に来たみたいにうきうきした声で言う。
「せっかく一泊するんだから、何か買っていこうよ」
「茜さん、楽しそうだね」
「美南と二人で旅館なんて、はじめてじゃん」
 これで最後かもねーと母はケラケラ笑って付け足した。そう言われれば、そうだった。家族旅行のときはいつも祖父母も一緒だったし、高校に上がってからは友達と行っていたから、母と二人で遠出することはほとんどなかった。私は十年以上一緒に暮らしていながら、母と家族らしいことをしていないんじゃないか、と思ったけど、家族らしさとはいったい何なのか、よくわからない。父と母と三人で、名古屋の港町で暮らすことがそうだったのだろうか。ならばあの五年の間にだけ、私の家族があったのだろうか。
 胃がんだったという。あの人の訃報が母に届いたとき、葬儀に出たい、と言い出したのは私だった。なぜだろう、家族だから? そうではない、と思い直す。悲しみや寂しさから来る衝動とは質が違った。運命、という言葉が一番近い気がする。気持ちの如何よりも先に、物事の是非よりも前に、とにかく悼んであげなければならないのだと思った。明日の告別式が終わったら、私たちは夕方の新幹線で東京に帰る。この町に来ることは、もう二度とないだろう。
 旅館のお湯につかりながら、小さい頃の記憶を一つ一つたぐり寄せた。母は早々に風呂場を出て、脱衣所で髪の毛を乾かしている。大きな窓の外に竹の柵と松林が見える。松林の向こうの空は夕日が濁ったみたいに薄暗い。広々とした湯船には私の他に誰もいなかった。
 私にとっての幼少期は、母と一緒に東京に移り住んだところから始まる。私は生まれて初めて新幹線に乗り、生まれて初めて雷門を見た。祖母が車で迎えに来てくれるまでの時間つぶしだったのだろう。仲見世通りの真ん中で、疲れたとだだをこねた私に、母が人形焼きを買ってくれた。みなみ、ほら、みてごらん、きれいでしょう。母は観光客でごった返す春の仲見世通りの先を指さし、私に言った。私の視界は大人たちの膝でいっぱいだった。見えない、と唇をとがらせた私を抱き上げて、母はもう一度、ほら、きれいでしょう、みなみ、と繰り返した。あの頃、大人たちの目の先には、きれいなものや、おもしろいものがいっぱいあった。
 お湯を両手にためて、汗ばんだ顔に浴びせた。水温は体を解きほぐすようだった。プラスチックの竹でできた偽物のこけおどしからさらさらとお湯が流れ出ている。偽物。もう一度心に思う。あの仲見世通りからさらに昔、もう自分が生まれる前のことのように、思い出す。
 偽物だったのかもしれない。でもあの人は優しい人だった。幼心に、そんなことを母に言ってはいけないのだとわかっていたから、これまで誰にも話したことはない。
 DVをする男というのは、怒ると手がつけられないくらい暴れるが、そうでないときは信じられないくらい優しい、いわば二重人格のような落差を持つのが常らしい。実際あの人は(母の言葉を借りれば、あの人の「本性」だ)、卵焼きの味が薄いと怒鳴り散らして母の髪の毛をつかんで家中を引きずり回し、母が無断で買い物をすればベランダに放り出して一晩中カギを閉めておくようなとんでもない男だったという。機嫌を損ねなければとても穏やかで暖かい言葉を持つ人でありながら、一方でポットのお湯をぶちまけて私たちを口汚くののしる人でもある。だから、私がたまたま、あの人の「本性」でない部分、あるいは「本性」をあらわにしていなかった時期のことを拾って覚えているだけで、それは偽物なのだろう。
 保育園に送ってもらったときだった。両親の間でどういうルールになっていたのかわからないが、あの人はたまに母の代わりに運転席に座り、私を保育園に送ってそのまま出勤していた。私はその朝、気に入りの花のピンが洗面所に見あたらず、ぐずぐす文句を垂れていた。あれがないなら保育園なんて行かない、とぎりぎりまで徹底抗戦を続けたが、いい加減にしなさい、と母に一喝されて渋々車に乗った。お母さんなんか大嫌いだと思った。後部座席で下を向いたままじっと見つめていた、保育園のかばんの黄色を覚えている。
 あの人は途中、コンビニで車を止め、缶コーヒーを持って戻ってきた。片手に下げていた小さなビニール袋を運転席から私に差し出す。ネコの顔がついた、おもちゃみたいなヘアピンが入っていた。あの人は身を乗り出して私の前髪にヘアピンをつけ、ほら、とバックミラーを指さした。みてごらん、みなみ。仲見世通りを指さした、母の声が重なる。
 実際、見えたのか、見えなかったのか、覚えていない。体がすっかりほてっていた。私はもう一度お湯で顔面を洗い流し、風呂場を出た。引き戸を開けたら母が振り返り、「先、行ってるよ」と一声かけて脱衣所を出て行った。全身の皮膚からたちまち熱が抜け、前髪からぽたりと垂れたしずくがまぶたの上を伝い落ちた。
 子どもの希望通り、なにもかもを買い与えてあげることが親の優しさなのだとは思わない。いい加減にしなさい、と一喝した母のほうが、実は正しく優しかったのかもしれない。だからきっとあの人は、娘に優しくする方法がわからなかったのだろう、と振り返ってそう思う。ネコのヘアピンはあの後どうしたんだっけ、引っ越しのときになくしてしまったのだろうか。
 低いテーブルで会席料理を囲み、私たちは早めの夕食を取った。とりとめもなくあれこれ話したが、名古屋の5年間のこと、あの人と暮らしたときのことについては触れなかった。
 あの人はいくつだったのだろう。どこで母と出会い、どうして結婚したのだろう。名古屋ではどんな仕事をしていたっけ。いつから、どうして、人に手を上げるようになったのだろう。聞いてみたいことは山ほどあったが、聞いたところで私たちには何の利もない。
「美南、お造り残さず食べなさいよ、もったいない」
「もうおなかいっぱい」
「食べ残しなんてみっともない」
 母は私の皿からマグロのお刺身を取り、売店に並んでいた地酒の肴に口に運んだ。
「茜さんはよく食べるよね」
「あんた、またダイエットなんてしょうもないことしてるでしょ」
 言い当てられて、なんだか恥ずかしくて「してないよ」ととっさに否定してしまった。母は「ふーん」と興味なさそうに相鎚を打ち、地酒を傾けて一口飲んだ。母はさっきからずいぶんとお酒の進みが早い。
 茜さん、お通夜をやる理由なんて、どうして私に話したの?
 聞いてみたいような気がしたが、私は口をつぐみ、代わりに残りのお造りを一口食べた。身の締まったマグロの刺身に、わさびの辛みが効いている。鼻につんと抜けるわさびにうっすらと涙がにじみ、思わずテーブルから顔をそらしたら、窓の外の、県境の深い山々の上に、夏のはれぼったいような夜空が覆い被さっていた。





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